この時代の、流行病に感染した。
結論から言うと、症状は軽い方なのかもしれないけれど、本人にしてみたら、初日、2日目は、〝死ぬ〟かと思った笑笑
まさか、この病に罹ると思ってないので、もちろん、普段から気をつけていたので、身体が少しだるくなって来た時に、んっ?まさか、と思ったら、あとは転がり落ちるかのように‥症状が展開して行った。
孫のところに行くために買っておいた『抗原検査キット』2回分で、3200円くらい。安くはないけど、孫のため、と思うと、つい買ってしまう
それが、今回、自分の感染を疑うために検査するハメになるとは‥夜中に、鼻の中を、綿棒のようなもので、両鼻の穴をクルクルクルクルして、溶液に混ぜ、キットの中心に滴下した。
待つこと30分‥
「陽性」のインクがくっきり!あぢゃー
東京に住む看護師の娘に、電話で段取りを確認して、私は、部屋に篭る準備をして、2階の寝室へ。同居人は夫1人だが、決して若くない⁉︎年齢なので、感染させるわけには行かない。と、そんなこと実際は考えてる余裕は全くなく(すみません‥夫へ)頭が、ガンガンしてくるし、熱は高くなるし‥一瞬、よぎる、良くないことも、いやいや打ち消し、とにかく、今は、寝よう!
何とか夜が明けた‥声が、出しにくい‥助けて‥救急車呼んでほしい‥でも、近所の手前、恥ずかしい‥でも、夫と二人共倒れもまずい‥等々
夫が、開業医に確認してくれた。何と、いきなり救急車は呼べないらしい。まずは、開業医の検査を終えて、保健所への連絡の後、緊急の場合が救急車になってるらしい。
夫が開業医に連れて行ってくれた。(※ちなみに、その後の夫への感染はなかった)
開業医の駐車場は、PCR検査待ちの車で、ごった返していた。全て、車の中で行われた。
PCR検査、先生の問診(電話)、会計、薬の処方
改めて、変な光景‥
おかげさまで、処方された痛み止めで、峠は乗り越え、そのあとは、症状は次第に軽減した。
最初の2日間は、看護師の娘は何度も連絡をくれた。
お水をちゃんと取れてるか?
熱は何度?
今の調子はどう?
2日目の時、「昨日、ヤバかったね笑」と。
まめに、私の状態を気遣ってくれていた。
下の娘も、上の娘から様子を聞いたのか、少し落ち着いたところを見計らって、
「大丈夫?」いつもらしからぬ⁉︎可愛らしい声で、電話をくれた、とても嬉しかった。
そして、夫は‥
毎回、毎回、必要なものを部屋の外に運んでくれた
毎食、何かしら、作って運んでくれた
本当に、ありがたかった。
ご飯が、とても美味しかった!
そして、だんだん元気になって、私の注文が増えてくると
「うるせ〜なー、元気じゃない方が、楽だー早く元気になるなー」とか言っていた‥笑笑
この流行り病い、とっても、厄介な病気だけれど、これって、怖がる前に、もっと大切なこと、教えてくれるためにあるんじゃないかと感じた。
恐怖‥
先に感じたら、恐怖なことしか、やって来ない
家族愛を知るためのもの‥
‥と感じたら、少しくらい罹ってもいいんじゃないか?それで、家族を思いやる気持ちが、リセットできるのなら
治って来たから、こんな、悠長なこと言えるのかなぁ
『想いが現実を作る』としたら、
絶対良いことの方がが良い!
家族への思いやり、感謝の気持ちを改めて見つめ直す大事な時間を私は、もらっているのかもしれない
かけがえのない命を育み、送り出す場所は、家庭であり、そこにいる家族
一番基本で大切な場所、繋がり
この場所が、愛に溢れ、輝き続けていくことを願う