ここ3年ほど、グループホームにお世話になっていた母が、今年に入って、ガクッと体力が落ち、食事もだんだん食べられなくなってきた。主治医の先生から、最期のステージに入って来たこと、これからは、いつ何があってもおかしくない、こと(食べ物や痰を喉に詰まらせてしまうことなど‥)片や、まだまだ長生き出来る可能性もあることなど、を告げられた。
今まで、距離を置いていた母だったけれど、少しでも、妹も一緒に楽しい時間を持とうと思った。
さっそく、日を決めて、大好きなお寿司を食べて、桜も見に行く計画を立てた。実は今まで、母を連れ出して外食はしたことがなかった。コロナの影響もあって、面会はもちろんのこと外食など不可能のこともあったけれど、それ以上に、私にその気が無かったことも事実‥
でも、今は、それをしたい、と思った。
母の状態は、ほとんど、普通のご飯は、食べられてない状態、でも、この日を楽しみにしてくれていたはず!
この予定していた日は、春の嵐の翌日だった。
当日の明け方に、電話が鳴った‥
息を引き取ったと‥
えっ!?
いきなり?急過ぎる‥
母は今生での時間を終えました‥
施設に向かうと、スタッフ全員が集まり、涙しながら、綺麗に看取りをしてくださった‥
告別式の最後、喪主の挨拶で、喪主の夫から、実の娘の私たち姉妹からも、参列された方々(親戚)への挨拶を勧められ、それぞれが語った。
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ここからは、長女である私の拙い思い出話に少しお付き合いください
昨年6/19父◯◯が、この世から旅立ちました。
そして一昨日3/13母◯◯も
肉体を離れ、あちらの世界に旅立ちました。
私たちの家族は、姉妹と父、母の4人家族です。
父は、短気ですぐ怒り、手を挙げる人でした。
母は、いつも不安を主張する人でした。
と、ずっと思っていました。
私は、家族の中で、わがままで、自分を理解してもらえない苦しさで、家族と距離をずっととって来ました。
私も妹も結婚をして、家を離れ、両親2人きりになり、なんとか元気にやってくれることを望みながらも、気持ちの距離は、遠いまま。
両親が、最期に向かう時期となり、私は、ようやく家族と向き合うことになりました。
妹とも、父、母にとって、最善の方法、場所を模索しながら、ここまで来ました。
見送った今、自分の知らない間に、親戚の方々がいかに、両親のことを支えてくれていたか、ということ、母においては、3年お世話になっていたグループホームのスタッフの皆様に、本当に家族以上の愛情を注いでくださっていたことなど、今まで、私がみて来なかった両親の在り方を知ることになりました。
あれだけ、遠い存在にしてきた両親が、本当は、一番近くで、見守ってくれている、ということを、今さらながら、
今、だから感じることができました。
両親は、ここ◯◯寺で、永代供養とさせていただきます。
勝手なお願いですが、もしも、お近くにお寄りの際、気が向いたら、手を合わせていただけたら、幸いです。
以上、これにて、喪主ならびに私たちのご挨拶に変えさせていただきます。
ご清聴いただきありがとうございました。
本日は、お忙しい中、ご参列いただき、誠にありがとうございました。
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